「的」
「的」(まと)
1991年バブルが崩壊し、世の中の経済が音を立てて崩れて行く時、私は郷里の岡山県を離れ、東京に向かった。
当時31歳。
東京で出会う人が、皆、異口同音のように口を揃えて「なぜ今東京に来たのか?」と、私に問いかけた。
「日本経済が、こんな時にわざわざ、上京する必要はないだろう?」そういった内容の事を、何度か言われたの覚えている。
私は、ただ地方のデザイナーで終わりたくなかった。
そして自分に自信が欲しかった。
その一念で岡山県から「花の都、東京」に出向いた。
その当時からだから、30年以上の時が経過し、私は、61歳になった。
数週間前にも投稿した通り、私は「下手くそダーツ」を今も続けている。その上京当時の90年代、ダーツの男子チャンピオンといえば、JDA(ジャパン ダーツ アソシエーション)の通称Wantan氏だった。
私が上京した年だと思うが、当時の下北沢にセモアというダーツバーがあり、そこで偶然にも、ダーツをWantan氏とする事が出来た。
ハンディーマッチといって、Wantan氏は、501点、私は401点と100点引かれた点数から、入った得点を引いていき、先に終わった方が、勝ちというもの。
私は、ハンディー(100点)をもらった事と、超ビギナーズラックで、まぐれ勝ちした。
憧れのダーツチャンピオンと、ゲームができた事が何より嬉しかった。
その時か、どうか?は覚えていないが、Wantan氏のショートダーツ(一番早く終わったスコアー)記録が、11ダーツと聞いた。
501点から、入った数字を引いていき、一番少ないダーツの本数で、フィニッシュした数字が、11本の矢で終わる事。
私にとっては、夢の数字だ。
いつしかこの記録と並んでやろう!その一念が、今まで30年間の中で脈々と続いてきた。
何度も、何度も挫折し、時には放棄した時期もあった。
揺らいでいる心、体、技を見直し取り組んだ。
この3年は、足腰の強化も取り入れ、体の土台を整え、練習をした。
2021年6月21日(月)私は、ついに11本の矢で、フィニッシュする事ができた。
目標とした時から、まるまる30年の月日が経過していた。
人にとっては小さな目標に見えるであろうが、私にとっては「望み行動すれば、願いは叶う」と、昨日しみじみと学び、涙が流れた記念日になった。
※ 写真は、再現写真です。
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スコアー
140点
95点
180点
2F(2本目フィニッシュ)