カウンター風景
今日も、贅沢で、価値ある時間を与えられた。
過去、脳の難病と診断された若者が、愛する彼女と、彼のお母様とで訪れてくれた。
当時、困難極まりない手術、記憶や言語の障害、複数の角度からの思考の混乱。
私は、元気な時の若者を見ていただけに、その変わりようは本人にとって計り知れない困難だったと、心から思えた。
術後、高等学校の卒業は、認知能力の是非から認められないとされた本人の辛い思いは、深い悲しみと憤りだった。
しかし、運命は一つの道を新たに示すのである。
彼が、写し撮った写真の中にそれはあった。
「感性と、本能の叫びとでも呼ぶのであろうか?」
彼の写真の中に、小さいが確実な輝く光を放っていた。
「光るものがある!」
私は、確信した。
このカフェでの、若者の写真展に話はおよび、そのことに彼は、集中し取り組んだ。
いみじくも、彼ができると思って断念した高校の卒業式の日に、山陰中央新報社(山陰の新聞)に、大きく「困難を乗り越え個展」と、報じられた。
また、その報道に注目し、感銘したNHKの若手のカメラマンが、その後のドキュメントを長い取材期間をかけ、撮影編集し、報道してもくださった。
人の可能性は、人知を超えた遥か先に、位置している。
私は、自分の理念のまた上をいく、ドキュメントを垣間見た。
個展には多くの観覧者が訪れ、作品に打たれ、彼を心から称えた。
それは、作品を通じて「人の心に打つもの」を、若者自体が全身全霊で表現できたからだと断言できる。
人生に、無駄はない。
私は、今も教わり続けている。